冬になると福井市に住んでいた時のことをよく思い出します。今から30年ほど前に、仕事の関係で名古屋市から福井市に引っ越しました。日本海に面したこの街は冬になると雪が積もります。何日も続く雪、積もる雪がめずらしくて、最初の年はワクワクしながら雪かきに励みましたし、初めて雪道で車を運転するスリルも味わいました。

当然のことながら失敗もありました。太平洋側の冬は天気が良く、日中に晴れていればそう簡単には雨になりません。ベランダに布団が干してある景色もよく見かけます。それに対して、日本海側の冬は日中に晴れることがあっても長続きせず、突然曇りだしたかと思うと、あっという間に冷たい雨、みぞれ、雪が降り出します。太平洋側に住んでいた時の習慣をそのまま持ち込むととんでもないことになります。福井で初めて迎えた冬のある晴れた日に、布団をベランダに干して近くのショッピングセンターに買い物に行った時のことです。子供と一緒にほんの1、2時間の買い物を楽しんで店を出たら外は雨、布団はびしょ濡れの状態です。泣きだしそうになりました。

この話を地元の人にすると大笑いされました。冬の晴れ間に布団を干すなどということは地元の人々にとってはありえないことだったのです。そう言われて注意して周りの家の庭やベランダを見ると誰も布団を干していません。その時初めて北陸地方で良く言われる「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉を知りました。冬の天気は変わりやすいので常に傘を持ち歩きなさいということで、北陸に住む人たちにとっては常識だったのです。冬は晴れて乾燥しているというイメージは太平洋側に住む人にのみ通用するもので、日本全体に共通するものではなかったのです。

福井に住んで初めて知った言葉は他にも数多くあります。皆さんは「雪おこし」という言葉を聞いたことがありますか?「雪おろし」と言う地域もあります。屋根に積もった雪を下におろす「雪下ろし」ではありません。日本海側の地域では秋から冬にかけて強い寒気が流れ込んで来ると、雷が鳴り響き、雪が降り出します。寝ていた雪を起こす雷という意味だそうです。日本海側で「雷」と言えば、まずこの「雪おこし」の雷を指します。一年で一番雷が鳴るのもこの時期です。夏はあまり雷が鳴りません。

私たちは「雷」と言えば夏、入道雲とともに鳴り響く雷鳴を思い浮かべます。俳句でも「雷」は夏の季語とされています。これも実は太平洋側における現象にすぎないものが日本文化の暗黙の前提のようなものになってしまっているのです。私たちは自分たちが住んでいる地域の常識があたかも日本全体の常識だと思い込んでしまう傾向にあります。日本の中で比較的優位な立場にある太平洋側、とりわけ日本の中心的な地位を占めている首都圏に住んでいるとその傾向はますます顕著になります。優位な立場になればなるほど、中心的な位置にいればいるほど、そうでない地域やそこに住む人々のことが目に入らなくなります。誰もが知らないうちにそうなってしまうのです。

この現象は私たちが日々目にしている新聞やテレビのニュースにも顕著に現れています。東京でほんの数センチ雪が積もっただけで全国放送の枠で延々とニュースが流されます。日本海側の人から見たら何でこんなことが全国ニュースになるのか全く理解できないでしょう。このあたりにも首都圏に住む私たちの無頓着さが表れています。傲慢さと言っても良いかも知れません。

この日本海側と太平洋側(首都圏)の関係は、もっと広い世界で考えると、ひょっとしたら日本と欧米(アメリカ)の関係にそのまま置き換えることが出来るのかもしれません。逆にもっと身近な世界でもこの関係を見つけ出すことができそうです。皆さんの周りにもこの図式にあてはまるものが数多くあるでしょう。

私自身は、学校長という学校の中の優位な立場、中心的な位置にいる者として、「誰もが知らないうちにそうなってしまう」のだということを常に忘れないようにしたいと思います。

原載:『早実通信』195号(2018年12月)