新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。心から歓迎いたします。
本校は1901年に設立されました。早稲田の地で100年にわたり多くの人材を育てた後、2001年に国分寺に移転し、翌2002年に男女共学、初等部開設という大変革を遂げ、今日に至っています。創立から120年、国分寺移転から20年の時が過ぎました。その間、本校の入学式はずっと4月でした。4月に入学し3月に卒業するこのサイクルは、戦時中を除き120年のあいだ繰り返されてきました。
本校の生みの親でもある早稲田大学は1882年に東京専門学校としてその産声を上げました。開校式は10月21日でした。その後は長い間、9月に入学し7月に卒業するという形が続きました。早稲田大学全体が4月入学に移行するのは1919年のことです。
明治から大正にかけての時期は初等教育や中等教育は4月入学3月卒業、高等教育は9月入学7月卒業が普通でした。どうしてこんな違いが生まれてしまったのでしょうか?
初等教育や中等教育の4月入学3月卒業は、1880年代に制度化された日本の会計年度(4月~3月)や同じ時期に制度化された日本の徴兵期間(4月~3月)と密接に関わっています。日本国内のお金や人の動きの起点が4月であれば、学校の新しい学年のスタートも4月にすると都合が良いことになります。こうして初等教育や中等教育では早い時期から4月入学が定着しました。教育制度が日本という環境にしっかり適応した結果だと考えて良いでしょう。
高等教育はそう簡単にはいきません。幕末から明治にかけて、日本は知識のほとんどを欧米から学びました。新しい日本を作り上げていくために必要とされた近代科学の知識は欧米人の頭の中か彼らが書いた書物の中にしかありませんでした。明治初期の日本の高等教育機関(大学や専門学校)の授業は、基本的には欧米から招いた先生が外国語で行うものでした。外国人の先生がいなかったら日本の高等教育は成り立ちません。当然、欧米の学校の人の動きと連動することになります。その頃の欧米の多くの学校は現在と同じ9月入学7月卒業でした。日本の大学や専門学校が9月入学を採用したのはその影響だと考えられます。
早稲田実業学校には校是・校訓があります。皆さんご存知の通り「去華就実」(見た目の派手さを求めず、実質、内実を大切にする)と「三敬主義」(他を敬し、己を敬し、事物を敬す)です。早稲田大学には教旨(「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」)があります。「学問の独立」は聞いたことがあるのではないでしょうか。一般には「学問研究において権力や時勢に左右されない」ことを指しますが、東京専門学校設立当初の「学問の独立」は別の意味で使われていました。
必要な知識が欧米人の書いた書物や欧米人の頭の中にしかない以上、学問は日本語ではなく外国語を通してしか学ぶことができません。そんな中にあって、東京専門学校は日本で初めて日本語で授業を始めた高等教育機関だったのです。「自分自身の言葉で考えること」「自分自身の頭で考えること」のできる若者を育成することが東京専門学校の最大の目的でした。「自分自身の言葉で考えること」「自分自身の頭で考えること」によって初めて学問は独立することができ、人々の精神も独立することができると考えたのです。その後、他の大学も日本語で授業をするようになっていきました。
しかし、学年のスタートは9月からなかなか変わりませんでした。早稲田大学全体が4月入学になったのは1919年です。1920年代に入ると多くの大学が4月入学にシフトしていきます。日本の環境にあった大学に変わるのに40年近い時間がかかったわけです。
それから100年、環境は再び大きく変わりつつあります。昨年の春、コロナ禍の中で9月入学への移行がさかんに取りざたされたのは皆さんも記憶していると思います。様々な場面で議論されました。その時に私の頭に浮かんでいたのは、東京専門学校が目指した「自分自身の言葉で考えること」「自分自身の頭で考えること」でした。
人が新しい世界を切り拓いていくためには、「自分自身の頭で考える」しかありません。皆さんには、附属・系属校を含め早稲田大学に脈々と引き継がれているこの精神を大切にしてもらえたらと思います。
4月からの学びが皆さんに「精神の独立」をもたらすもの、少なくともその第一歩となるものであることを祈っています。
原載:『早実通信』206号(2021年4月)