今から50年前、1972年は戦後の総決算のような年でした。
1月に横井庄一さんがグアム島で発見され、2月に帰国しました。1945年8月の終戦から27年間、ずっとジャングルにかくれて戦い続けていたのです。帰国の様子はテレビで生中継されました。横井さんが話したとされる「恥ずかしながら帰って参りました」は流行語となりました。当時中学3年だった私も「恥ずかしながら…」とよく口にしていました。このことばは、実際には飛行機のタラップを降りた時の「恥ずかしいけれども帰って参りました」と記者会見での「恥ずかしながら生きながらえておりましたが」を合成して作られたもので、本人のことばそのものではありませんでした。
5月にアメリカの統治下にあった沖縄の施政権が日本に返還されました。今年は「沖縄返還50周年」「沖縄復帰50周年」ということばをよく耳にしました。この二つは微妙に違っています。「沖縄返還」だと沖縄はアメリカから日本に返還されるモノのような感じですね。「沖縄復帰」だと沖縄が主体的に日本に復帰する感じです。日本あるいはアメリカの視点で考えるか、沖縄の視点で考えるかの違いです。
7月に就任した田中角栄首相が取り組んだのが日中国交正常化でした。当時の日本は台湾の中華民国を「中国」とみなし国交を結んでいました。9月に北京を訪問した田中首相と中国の周恩来首相の数回にわたる会談を経て、日本と中華人民共和国との間の不正常な状態を終結し、中華人民共和国を「中国」とみなして国交を結ぶことなどに合意した日中共同声明が調印されました。
調印までには紆余曲折がありました。歓迎宴での田中首相の挨拶の「この間わが国が中国国民に多大のご迷惑をおかけしたことについて、私はあらためて深い反省の念を表明するものであります」の「多大のご迷惑をおかけした(添了很大的麻烦)」に中国側が強く反発したのです。あまりにも軽く見ているというものでした。最終的には共同声明に「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と記すことで決着しました。
ことばは本当に難しい。気をつけて話していても、間違った解釈や意図しない反発をもたらしてしまったり、人を傷つけてしまったり、独り歩きしてしまうことがあります。
10年程前、私はある組織が成功した改革と同じような改革を私が所属する組織でも行いたいと考えて計画を進めていました。たまたまその組織の人と話す機会があったので、「皆さんのように失敗しないように改革を実現したい」と言ったところ、相手を激怒させてしまいました。私が言おうとした意味とは逆の意味で理解されてしまったのです。ことばはこちらが意図した通りに受け取られるとは限りません。ことばは本当に難しいですね。
では、良い夏休みを!(このことばを皆さんはどう受け取りますか?)
原載:『早実通信』211号(2022年7月)