みなさんこんにちは。教育・総合科学学術院長兼教育学部長の村上公一です。ご入学おめでとうございます。今年は1114名の新入生の皆さんを迎えることが出来ました。新入生のみなさん、また別室でご覧いただいている保証人、保護者の皆さま方に、教育・総合科学学術院そして教育学部を代表して、心から祝い申し上げます。

入学式といった儀式の式辞としては異例かと思いますが、パワーポイントを使いながら話をいたします。 

これからお話しするのは次の3点です。まず、みなさんが入学した早稲田大学教育学部とはどのようなところか?今日から皆さんは様々な場面で「早稲田大学教育学部の何々です」という自己紹介をすることになると思います。早稲田大学とは何なのか?そして早稲田大学教育学部とは何なのか?これについて少しお話しします。次に、4年間でどのようなことを学んでほしいか?そして、早稲田大学教育学部を卒業する時にどのような人になっていてほしいか、についてお話しします。

まずは早稲田大学とはどういうところか?早稲田大学は1882年(明治15年)東京専門学校としてその産声を上げました。その開校式での小野梓の演説に次の言葉があります。これは一昨日の全体入学式で総長も引用していたものです。

一国の独立は国民の独立に基いし、国民の独立はその精神の独立に根ざす。而して国民精神の独立は実に学問の独立に由るものなれば、その国を独立せしめんと欲せば、必ず先ずその民を独立せしめざるを得ず。その民を独立せしめんと欲せば、必ず先ずその精神を独立せしめざるを得ず。而してその精神を独立せしめんと欲せば、必ず先ずその学問を独立せしめざるを得ず。

「学問の独立」とは何でしょうか?これも総長が触れていましたが、早稲田大学の教旨には三つのものがあります。「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」です。

学問研究において権力や時勢に左右されないこと、これが学問の独立です。学問研究は現実に活かしうるものでなければならない、これが学問の活用。「造就」というのは「育成」という意味です。模範となる国民を育成する、現在ではこれを国家というという枠組みも越えたものと解釈し、<豊かな 人間性を持った地球市民を育成すること>これが模範国民の造就です。これが早稲田大学の建学の精神であり、早稲田大学の目指すところということになります。

みなさんは当然この教旨に賛同し、共鳴して本学を受験されたんですよね?まさか偏差値的にちょうど良かったから受験したのではないですよね?さて、先ほどの小野梓の演説に戻ります。実はここで語られている「学問の独立」は教旨の「学問の独立」学問研究において権力や時勢に左右されないこととは少し違います。

当時の日本の学問の状況を想像してみてください。明治15年。明治維新により西洋の学問がどっと日本に流れ込んで来ます。日本が近代化を進めるためには西洋の学問を学び、それを現実に活用しなければならなかった。つまり西洋人の頭の中、西洋で書かれた本の中にしか求める知識はなかった。外国人の頭を借りて外国語で学ぶしかなかったわけです。

帝国大学をはじめとする高等教育機関ではみな外国語の教科書を使い、外国語で授業をしていました。その状況を踏まえてもう一度先ほどの文章を読んでみましょう。

一国の独立は国民の独立に基いし、国民の独立はその精神の独立に根ざす。而して国民精神の独立は実に学問の独立に由るものなれば、その国を独立せしめんと欲せば、必ず先ずその民を独立せしめざるを得ず。その民を独立せしめんと欲せば、必ず先ずその精神を独立せしめざるを得ず。而してその精神を独立せしめんと欲せば、必ず先ずその学問を独立せしめざるを得ず。

ここで言われている「学問の独立」とは何か?みなさんもうお分かりですよね。東京専門学校は、日本で初めて、日本語で授業をすることを前面に掲げた高等教育機関だったのです。「自分自身の言葉で考えること」つまり「自分自身の頭で考えること」のできる人材を育成することが東京専門学校の最大の目的であったのです。早稲田大学の出発点はここにあり、現在まで脈々と受け継がれています。

東京専門学校の設立は、当時当たり前のことだと誰もが思っていた「学問は外国語で学ぶ」という教育状況への異議申し立てであり、日本の教育界に自由な風をもたらし、大きく変革していくきっかけとなるものでした。事実、帝国大学等でもその後、日本語で授業が行われるようになっていきます。

では、みなさんが入学した教育学部はどのような経緯から設立されたものでしょうか?教育学部の前身である高等師範部が創設されたのは1903年、明治36年です。東京専門学校が早稲田大学と改称した翌年にあたります。高等師範部創設から10年後の1913年、大正2年4月、今からちょうど100年前、高等師範部入学式での早稲田大学学長の高田早苗の祝辞では、高等師範部創設の理由として以下の二つを挙げています。

・中等教員の不足と云ふ欠陥を充さんが為め
・国民の精髄たるべき中等国民を教育すべき中等教員その人を唯一処に於いて或る型に篏められた様な人のみを養成するよりは、各処各学風の下に於いて養成する方が宜からんとの考へ

これも当時の中等教員養成をめぐる状況を想像してみましょう。小学校の教員を養成する師範学校、中学校、高等女学校といった中等教育機関が各府県に設置され、それら中等教育教員の養成が急務となっていました。この時期、師範学校の教員を始め中学校、高等女学校等の教員養成を一手に引き受けていたのが官立つまり国立の高等師範学校でした。

官立というのは文部省が設置しているという意味です。もちろん高等師範学校出身者以外にも中等教育教員になる人たちはいましたが、それも帝国大学等国立の学校にほぼ限られていました。教員養成は国家が管理し、一定の型で養成すべきであるというのが当時の日本の方針でした。

「国民の精髄たるべき中等国民を教育すべき中等教員その人を唯一処に於いて或る型に篏められた様な人のみを養成するよりは、各処各学風の下に於いて養成する方が宜からんとの考へ」というのは、そのことに対する痛烈な批判です。

多様な教員養成のありかたを保証し、さまざまな教員養成機関出身の教員が切磋琢磨することによってはじめて、中等教育の現場に明るくたくましい活力をもたらすことができると考えていたのです。「多様な教員養成のありかた」という考え方は、現在に至るまで早稲田大学教育学部の根幹をなしています。

つまり、早稲田大学の前身である東京専門学校、教育学部の前身である高等師範部、そのいずれもが、その時代において当たり前だと思われている「常識」あるいは「因習」といったものに対する異議申し立てとして成立したものであったわけです。

皆さん方が所属する早稲田大学教育学部という器はこのような批判精神をもとにして出来上がったものなのです。この器の中で4年間過ごす皆さん方には、ぜひ器そのものが持っている姿勢から何かを学び取っていただけたらと思います。

では、早稲田大学教育学部というこの器の中で、みなさんに何を学んでほしいか、そしてどのような人材になってこの器を卒業していってほしいのか、この点について少しお話しします。

教育学部の主要な教育目的は二つある。一つは高等師範部以来、幾多の教育指導者を斯界に輩出してきた100年の伝統を継承し、優秀な教育者を送り出すことであり、一つは広く実社会の各分野で活躍しうる有能な人材を養成することである。この二つの目的は決して別のものではなく、いずれの途を進むにせよ、その根底は広い知識と豊かな教養を持ったコミュニケーション能力の高い人間の育成にある。

これは早稲田大学教育学部の<アドミッションポリシー>の一部です。先ほど「多様な教員養成のありかた」という話をしました。早稲田大学の教育学部は教員養成だけを目的とした学部ではありません。教員養成を目的の一つとした学部です。教員志望の皆さんは、ぜひ高等師範学校以来110年の伝統を持つ本学部で教員に必要な知識、教養を身に付け、これからの日本の学校教育を支える人材にぜひなっていって下さい。また、皆さん方の中には教員志望でない方も多くいらっしゃるでしょう。広く実社会の各分野で活躍しうる有能な人材となるよう知識と教養を身に付けて下さい。両者の根底にあるものは同じです<広い知識と豊かな教養を持ったコミュニケーション能力の高い人間>になっていただきたいということです。

このアドミッションポリシーのキーワードは<知識><教養>そして<コミュニケーション能力>です。コミュニケーション能力というのは人と話すのが得意だとか、英語が良く出来るといったことではありません。様々なモノや様々なヒトとしっかりと対話できるということです。

先日「ひまわりと子犬の7日間」という映画を見に行きました。ひまわりというのは動物管理所に収容された母犬の名前。子犬というのはその子供、7日間というのは動物管理所に保護される期間。動物管理所に収容された動物は、7日間の保護期間が過ぎると処分されるのです。私はこの映画を、たぶんその日映画館にいた人たちとは少し違った見方をしていました。

主人公というのも変ですね、その母犬は柴犬です。実は私も柴犬を飼っています。これがうちの犬と似ているんですね。動物管理所にも行ったことがあります。東京都では動物愛護相談センターと言うのですが、行方不明になった柴犬を引き取りに行きました。

行方不明になった後、数日間近所を探し回り、最寄りの警察署にも問い合わせたのですがなかなか情報を得られない中、動物愛護相談センターのホームページの収容動物情報を調べてみたところ、それらしい犬がいたので、とにかく確認するためにセンターに行ってみました。結構の数の犬が収容されていました。私の姿を見て近寄ってくる犬や尻尾を振る犬もいます。その中に我が家の犬が、いたのです。ワンワンという感じではなくクイーンという感じの吠え方をしました。処分日まであと1日か2日だったと思います。

映画を見ている私の頭の中には、我が家の犬、そして収容されていた動物愛護相談センター、その時の他の犬たち、その犬たちは数日後にきっと処分されたのでしょう、そして動物愛護相談センターの人たちの映像的な記憶が、その時の自分自身の気分と一緒に次から次へと浮かび上がって来ました。そういった知識や記憶とともにスクリーンに映し出される映像を見、スピーカーから聞こえる音声を聴いていました。

たぶん、私なりに「ひまわりと子犬の7日間」と対話をしていたのだと思います。映画館にいた人たちは一人一人、それぞれの記憶をもとにその映画と対話をしていたのでしょう。もちろん声には出さないで。映画館でみんなが声に出して対話を初めてしまうと大変なことになります。ただ、DVDで一人だけで映画を見ている時は、「やめて-」とか「ちょっとまて」とか実際に声に出してしまう人も多いですよね。

これもコミュニケーションの一つです。モノとのコミュニケーションと言っていいかも知れません。映画だけでなく、テレビを見たり、本を読んだりするときにも、私たちは自分の記憶や知識をもとにそれらと対話しています。

大学の授業も同様です。教員が皆さんに向かって何か話します。話された何かによって皆さんの記憶や知識が喚起され、話されたことと対話しながら何らかの筋道をつけようとします。筋道がつけられれば分かったことになり、筋道がつけられなければ分からなかったことになります。分かった場合でも、ひょっとした教員が想定していた筋道での理解とは違っているかも知れません。その場合は、しばらくするアレレレとなります。そしたらまた別の筋道を考えるしかありませんよね。こういった対話が終始、ほとんど無意識のうちに行われているはずです。

私たち教員は、みんなの顔を見ながら、筋道が付けられているかな?アレレレになったみたいだからちょっと待とうかななどと、こちらも終始、みんなの反応をもとに次の言葉を選択していきます。今でもそうですよね。私はみなさんとうまくコミュニケーションが取れているでしょうか?きっとうまく取れてないと思います。理由は簡単です。原稿があるからです。もし原稿があっても十分なコミュニケーションが取れているとしたら、昨日の晩、この原稿を書く時に、みなさんを想像し、想像の中でみなさんとちゃんと対話が出来ていたということでしょう。あるいは、みなさんが私とコミュニケーションを取ろうと必死になって知識や記憶を総動員してくださったおかげかも知れません。

今、私は皆さんにある種の「知」を投げかけています。皆さんはその投げかけられた「知」を受け取り、自分なりの筋道で理解し、自分自身の知識あるいは記憶の中に納めるでしょう。別の場面では、皆さんが「知」を投げかけることもあるでしょう。それを受け取った人は、やはり自分なりの筋道で理解し、自分自身の知識あるいは記憶の中に納めることになります。

教育、学習とは、まさにこのような「知」のキャッチボールだと言うことが出来ます。また社会での活動の多くはこのような「知」のキャッチボールに支えられています。そして、豊かな「知」のキャッチボールを行うためには、自分自身の中にしかるべき知識と教養がなくてはなりません。

早稲田大学教育学部での学びによって、皆さんの全てが、<広い知識と豊かな教養を持ったコミュニケーション能力の高い人間>となって巣立って行って下さることを心から願っています。

私が申し上げたいことは以上です。本日はおめでとうございます。

原載:『がくぶほう』(早稲田大学教育学部 2013年4月)