私たちはなぜ外国語を学び、また外国語を学ぶことによって何を得ているのでしょうか。ほとんどの皆さんは中学、高校で英語を学んできたわけですが、外国語を学ぶことによって得られるものは大きく分けて二つのものがあります。

一つはきわめて実利的なもの、つまり外国語を学ぶことにより、日本語以外の言語を使う人たちとコミュニケーションをとったり、日本語以外で書かれた情報を利用したりすることができるようになることです。科学技術の発達により外国あるいは外国の人との距離は非常に短くなりました。外国から日本に来るのがとても容易になり、いたるところで外国の人を見かけるようになりました。早稲田大学のキャンパスの中を歩いていても様々な言語が聞こえてきます。同様に、日本から外国に行くのも簡単になりました。かつては海外旅行経験者を「洋行帰り」などと言い、尊敬のまなざしで見た時代もありましたが、もう過去のことです。みなさん方の中にも既に海外旅行や留学を経験している人がいるでしょう。未経験の人も大学在学中にたぶん海外経験をすることになるでしょう。卒業後も、いまでは多くの企業が国境を越えて活動するようになりましたから、外国語でコミュニケーションをとらなければならない場面に遭遇することも少なくないでしょう。そういう時に、外国語を学んだことが非常に役に立ちます。

現代はグローバリゼーションの時代だとよく言われます。世界はかつてないほど結びつきが強まり、あたかも一つの世界を形づくっているかのように見えるようになりました。これは主にアメリカを中心に発達してきた通信技術や産業・流通システムによってもたらされたものです。アメリカを頂点とした国際的秩序と言い換えても良いかもしれません。アメリカの言葉でもある英語はこのことにより世界共通語としての地位を確固たるものにしています。日本の学校教育で英語が重視されるように、世界中の学校で英語教育が行われています。その結果、世界の様々な言語や文化を持った人々が英語を介してコミュニケーションすることができるようになりました。

しかし私たちは、内面の思いや感情まで含めて、英語で全てを表現できるでしょうか。どうしてもこぼれ落ちてしまうものがあります。母語や文化が異なる者どうしが、第三の言語である英語を通してコミュニケーションできるというのはとてもすばらしいことなのですが、そこで伝え合うことのできることは、英語に置き換えることができることだけ、あるいは英語というフィルターを通したものだけ、という問題を抱えることになります。

世界には英語以外の言葉で日々考え、感じている人のほうが圧倒的に多いわけです。英語以外の外国語を学ぶということは、直接それらの人々の母語や文化に触れようとすることであり、一歩一歩その言葉を使う人たちのものの考え方、心のありように近づいていくことになります。

多くの場合、人は生まれ落ちた後、母語そして母語により形づくられた文化の中で生活し、その中で様々なことを無意識のうちに学んでいきます。そしてある一定のものの考え方や感じ方を持つようになっていきます。外国語を学ぶということは、その言葉を使う人々のものの考え方や感じ方の形成の過程を体験することにほかなりません。これが外国語を学ぶことにより得られるもう一つのものです。つまり、外国語を学ぶことにより、自分自身が既に身に付けているものとは別の、もう一つのものの考え方や感じ方を経験することができるわけです。またそのことにより、自分自身のものの考え方や感じ方を相対化できるようになります。

どの言語を学ぶ場合でも、この二つの側面は必ずあるはずですが、英語の学びの中ではこの二つ目の側面が非常に見えにくくなってきています。それは、先に述べたグローバリゼーションと深く関係があります。グローバリゼーションの結果、アメリカ的なものの考え方、英語的なものの感じ方が、圧倒的な力を持って身の回りにあふれかえっている。そういった空気の中で生活している私たちにとって、英語を学ぶことが、自分自身とは別のものの考え方や感じ方を経験することや、自分自身のものの考え方や感じ方を相対化することとストレートには結びつかなくなっています。多様な言語が存在し、多様なものの考え方、感じ方が存在するということを体感する機会を失いつつある、ということができるかも知れません。

私たちは個人として、また集団として、常に他者とかかわりを持ちながら生活しています。その際に、多様なものの考え方、感じ方が存在するという感覚を持つことはとても大切なことであり、その感覚の欠如こそが、今日問題とされる様々なことがらを引き起こす大きな要因になっていると思います。その意味で、外国語学習の二つ目の側面は非常に重要な意味を持っています。

最後に、数年から十数年のうちに実用化されるだろう機械翻訳のことについて少し触れておきます。機械翻訳って知っていますか?使った事ありますか?外国語を自動的に翻訳してくれるというアレです。例えばYAHOO!などのポータルサイトでは外国語で書かれたWebページを自動的に日本語に翻訳して読むことができるようになっています。精度はまだまだですが、書かれている内容が何となく想像できるレベルにはなっています。

今のところ、機械翻訳のみに頼ってコミュニケーションすることは無理ですが、いずれ機械翻訳を介したコミュニケーションも普通に行われるようになるでしょう。100%完璧な機械というものはありません。機械は人が使うものですから、人の力を借りて、何とか我慢できる範囲に入った段階で一挙に実用化が進みます。

機械翻訳の時代のコミュニケーションを想像してみましょう。私が語った日本語が相手の言葉に置き換わり、相手の語る言葉が日本語に置き換わる。私たちは、日本語だけで様々な言語を話す人たちとコミュニケーションがとれることになります。一見バラ色の世界ですが、実はここには大きな問題が潜んでいます。言葉や文化が異なる人とコミュニケーションしていながら、それを全て自分自身の言葉や文化の文脈の中で解釈できてしまうことです。ここには外国語を学ぶことの二つ目の側面がすっぽりと欠落しています。先に、多様なものの考え方、感じ方が存在するという感覚の欠如が、今日問題とされる様々なことがらを引き起こす大きな要因となっていると述べましたが、機械翻訳の時代の到来はそのことにますます拍車をかける可能性があります。

早稲田大学の教育学部ではほとんどの学生が、英語に加えて、英語以外の外国語を一つ学びます。グローバリゼーションの時代そして機械翻訳の時代の入口にいるみなさんには、これからの学びに際し、今まで述べてきた外国語を学ぶことの二つ目の側面を常に意識してもらえたらと思います。

原載:『外国語を学ぼう』(早稲田大学教育学部 2007年度版)